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まとまった考えが浮かんだら書いています

本物の絵画の何がよいのか?

本物の絵画の何がよいのか。私は美術館の展覧会を見終わった後に売店で画集を眺めていると、必ずと言っていいほどがっかりしてしまう。先程見た絵画の生々しさが全然戻ってこないからだ。つまり、本物の絵画はまず、単純ながら、色、タッチという美的次元で我々の目を惹き付ける。画家により選び抜かれた、素材としての色の美しさ。立体感のあるタッチ。画家の目の確かさを表す細かな描写。これらは、インキによる印刷では伝わらないものだ。やはり本物を見るべきだと、本物を見るたびに思う。

 

平野啓一郎がこんなことを書いていた。インターネットによって、音楽や絵画の複製をあまりにも簡単に楽しめるようになったので、もう誰も、コンサートや美術館に足を運んだりしなくなるのではないか、という予想があったが、それは違った。本物と「まったく同じではないがほとんど同じ」ものに親しめば親しむほど、それには満足できずにその「まったく同じではない」が気になってくる。人々は、複製を見れば見るほど、その大元である唯一無二の本物に触れたくなるのだ。これはある意味不思議な現象だ。(グレン・グールドはほとんど合っていたともいえるが、決定的な部分が違った。ただし、グレン・グールドを生で聴くことのできたグレン・グールドには関係ないことだったかもしれないが。)