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まとまった考えが浮かんだら書いています

クラヴィコードの不思議な演奏会

京都の「カフェ・モンタージュ」の演奏会で、クラヴィコードという楽器の演奏を聴いた。クラヴィコードは、ざっくりと「昔のピアノ」のひとつだといっていいと思うが、とにかく出る音が小さい。その音は、照明を落とした半地下の会場で、演奏者をじっと見つめ耳を澄ましていると、だんだんと聴こえてくる。見えるか見えないかの影絵を凝視しているかのような、不思議な感覚。

演奏会が終わってから、クラヴィコードを少し触らせてもらった。この楽器では、ピアノでいうところのハンマーにあたるタンジェントを弦にグッと押し付けて音を出す。だから、音を伸ばすときにはその間は鍵盤を押さえ続けていなければならないのだが、指先には振動がものすごくよく伝わる。そして音の微妙なコントロールも可能だ。「ピアノは実は弦楽器なんです」と言っていた人のことをふと思い出した。

 

 

「カフェ・モンタージュ」

http://www.cafe-montage.com/index.html

音楽で感情を表現するには?

私は、私の大好きな曲を愛情を持って演奏するが、その演奏に対し、テンポが揺れすぎだから直しなさい、などと言われると、泣きたくなったものだ。「ディレッタントの誤り。それは、空想と技術を直接に結びつけようとするところにある。」とゲーテは言った。多くの音楽のディレッタントはおそらく、音楽が仮に人間の感情表現だと考えるとしても、その感情はあくまで音楽という形式に乗っ取って表現されるべきものである、ということを十分に理解していない。その形式とは例えば、拍子でありテンポである。音楽として整った美しい演奏をしようと思えば、感情は直接に流れ出すというわけにはいかない。感情の抑制が必要である。音楽の演奏は実は理知的なものなのである。感情を表現しようと思って演奏をする人にとっては、いい演奏をすることは息苦しいことなのかもしれない。もちろん、音楽の形式を踏まえつつも自由に表現しているように聴こえる演奏がすごい演奏だ、と言えるだろう。

 

シュトゥックハウゼンのピアノ曲の楽譜

シュトゥックハウゼンのピアノ曲の楽譜を見ていると、形式から自由になることを徹底的に形式化しているかのように思える。異様な複雑さは頭でっかちなものではない。頭に浮かんだ自由な音楽を楽譜という形式に直接表現したらこうなったという感じ。ショパンのルバートたっぷりの装飾も、コンピューターに認識させて楽譜にしたらこんな感じの複雑怪奇な楽譜になるのではなかろうか。もっともこれは単なる私の感想であるからシュトゥックハウゼンの音楽の本質とは全然違うかもしれない。

科学の実験の面白さとは

科学の実験においては、予想と違うことが起こるのがもっとも面白いのだというのが多くの科学者の語るところだ。予想通りの結果が出ることはもちろんうれしい。しかし、本当の発見は予想が外れるところから生まれるのだ。そこから新たな思考の可能性が発生する。学校の理科の実験が面白くないのは、それが教科書に書かれていることの確認に終わるからだろう。

 

質問力

以前とある場所で学生による報告会があり、学生が115分ほど、1日に10人ぐらい、パワーポイントを使って壇上で発表した。私も発表した。他の発表は聴講した。各発表の最後には発表者への質問の時間がある。私は1日に何回も質問をした。その日が終わった後、ある学生が私に「君はよく質問をするね。しかも鋭いのを。そんなに質問すると、自分の発表の時に鋭い質問を仕返しされるから、僕はそんなに質問をしないよ。」と言った。

 

質問とは何だろうか。質問をすることは意地悪なのだろうか。もし質問がそういった役割しか果たしていないのだとしたら、質問者は大いに反省しなければならない。私の考えでは、質問をするとは、発表を聴いてそこで話される内容に興味を持ち、もっとその内容を詳しく教えてほしいからそうするのである。質問とは発表者との対話である。発表者への攻撃であってはならない。発表者と共に発表内容をより深く理解しようとするためのものであり、発表に対する敬意を伴ったものだ。(※)

  

うまく質問するというのは難しい。よく、分からないなら質問しろ、と言われる。しかし、何が分からないのか分かっていないと、質問できない。質問ができるときは、かなり分かっている状態なのだ。質問をする人が実は一番内容を理解しており、考えている。

 

普段の大学の講義でも、質問をする人は非常に少ない。質問ができる人は、と言ってもいいかもしれない。それは要するに、思考が回っていないのである。どんなに就活で気張ろうと、普段の講義で質問できるようでなければ、全く駄目だ。私も心してかからねばならない。

  

 

 

(※)もちろん、質問も場の空気というものがあるので、それに対する配慮は必要だ。どのタイミングでどの質問を出すかを考え、好機を逃さずに質問をする、というのにはとても気を使う。

 

私はエレベーターが嫌いだった

私はエレベーターが嫌いだった。

初めと終わりにふうとなるのが気持ち悪かった。

今はたいていのエレベーターは平気になったが、

きどきデパートなどでひどいのがある。

勘弁してほしい。

むろん飛行機も好きではない。

ジェットコースターに乗る人の気が知れない。

そもそも文明が発達する前には、

人間がこんなに強引な手法で移動させられることはなかったはずだ。

だから、文明についていけない人間がいたって一向に不思議ではない。

車酔いする人間がいて当然なのだ。

むしろ、文明が提供する未知の感覚への人間の適応能力に驚くべきかもしれない。