読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

メモノート on Hatena Blog

まとまった考えが浮かんだら書いています

英語 語学教育 意義

英語!英語!と言うことに対して嫌悪感を覚えるのは、ひとつは自分がいつまでたっても英語ができるようになったとは思えないことに対する自己嫌悪でもあるのだろうが、確かに英語を勉強するというのはつまらない。手段が目的になっているからだ。英語でしか読めない「価値あるもの」を読むための基礎的能力として、英語力を持っておくのはよかろう。そうすると、確かに自分が読める「価値ある」文献は増えるだろう。それは大変重要なことだ。しかし、その益なくして英語の勉強だけをするのはいかがなものか。使わない道具の使い方を一所懸命覚えるようなものだ。それは無味乾燥に違いない。

 

だから、ただ何でも英語で授業をやればよい、英語であれば価値がある、という考え方はナンセンスである。

 

古文・漢文を勉強する意義も、そういう古文の価値を前提においてこそなされるべきである。古いが永遠の価値を持つと思える名文、日本語本来のリズム感、そういうものを充分に味わうために古文・漢文を学ぶのだ。決して試験のために文法を覚えるのではない。

 

ゲーテが「外国語を知らないものは、自分の国語についても何も知らない」と言ったという(『ゲーテ格言集』新潮文庫p.116)。自国語で考え自国語で表現する、というのが大事なのは当然だが、そのためにも実は外国語を学んでおくのは何らかの意義があるのかもしれない。比較対象があるということだ。

 

外国語の教育を行うなら、自国語との比較という点にまで踏み込み、言葉というものの面白さを学ぶ契機とするべきだ。