対称性のある図形は何かがつまらない
対称性と群論(数学)についての勉強をしている。対称性のある図形というのは確かに美しいのだが、何かがつまらない。勉強をしていてふとそう思った。
小林秀雄は『モオツアルト』の中で、均整とそれを破ることについてこう書いている。「誰も、モオツアルトの音楽の形式の均整を言うが、正直に彼の音を追う者は、彼の均整が、どんなに多くの均整を破って得られたものかに容易に気づくはずだ。彼は、自由に大胆に限度を踏み越えては、素早く新しい均衡を作り出す。到るところで唐突な変化が起るが、彼があわてているわけではない。方々に思いきって切られた傷口が口を開けている。独特の治癒法を発明するためだ。彼は、決してハイドンのような音楽形式の完成者ではない。むしろ最初の最大の形式破壊者である。彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、彼以後のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え得なかった。」私がこれに付け加えることは何もないのだが、音楽の美とはそういうところにもあるのではなかろうかと思い、対称性のある図形がつまらないと思ったときに、このことを真っ先に思い出したのである。