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メモノート on Hatena Blog

まとまった考えが浮かんだら書いています

古管尺八のCD 能 武満徹

私の持っている尺八のCDがとにかくよい。

 

浜松市楽器博物館 コレクションシリーズ6

古管尺八1 ~音の表情~(CD)

http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E7%AE%A1%E5%B0%BA%E5%85%AB1~%E9%9F%B3%E3%81%AE%E8%A1%A8%E6%83%85-%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA6-%E5%BF%97%E6%9D%91%E5%93%B2/dp/B000AQDJPC

 

 「虚空」という曲の初めの音は、出されるとともに長くのばされ、そして沈黙へと消えていく。すると、今の音は、実は沈黙からものすごいエネルギーと緊張感を持って生み出された音だったのだと気付き、はっとする。

 

厳しい音楽だ。私はこんなことを思い出す。最近能を見たのだ、と私が祖父に言ったところ、祖父は「能は厳しいからな」と言った。能は難しいからな、ではなく。それが妙に印象に残っている。

 

武満徹の著作集を読んでいる。そして、彼のピアノ曲も弾いている。武満はあの有名な「November Steps」を書いた。彼の言葉が強く響いてくる。 

 

…日本においては一つの音が“さわり”を持っている。つまり騒音的である。西洋の音に比べて非常に複雑で、一つの音の中にたくさんの音が運動していると言ってもいいと思うのです。

(「さわりについて」)

 

音楽は、音か沈黙か、そのどちらかである。私は生きる限りにおいて、沈黙に抗議するものとしての<音>を択ぶだろう。

 それは強い一つの音でなければならない。

 私は、音楽のみがかれない原型を提出することが作曲家の仕事ではないかと考えている。

 私は余分の音を削り取って、確かな一つの音を手にしたい。

(「自然と音楽―――作曲家の日記」)

 

 私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。

(「自然と音楽―――作曲家の日記」)