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メモノート on Hatena Blog

まとまった考えが浮かんだら書いています

コンサートでの暗譜は必要ない

「コンサートでピアノを弾くときには暗譜で弾かなければならない」というのが、どうやら多くの人の意見のようである。アマチュアのピアノコンサートでも、多くの人が暗譜で演奏をしている。私もアマチュアでピアノを弾く人間である。人前でもしばしば演奏する。そのときにはやはり暗譜で弾くべきなのだろうか?私はコンサートでの暗譜は必要ないと思っている。

 

もちろん、曲を覚えてしまうくらい練習することは必要だ。しかし、そうであっても、本番で完全に曲を覚えて弾くことは困難だ。記憶は飛ぶものである。限られた時間内に記憶を引き出せばよい筆記試験とは違い、コンサートで演奏する場合にはリアルタイムに記憶を引き出していかなければならない。ステージは極度の緊張を強いられる場だ。普段どんなにスラスラ弾けていたとしても混乱は避けられない。

 

楽譜を見たから完璧に弾ける、というわけではない。ミスタッチはしてしまう。しかし、記憶が飛んで演奏が止まってしまうことはかなりの確率で防げるはずだ。アマチュアの演奏を聴いていると、最後まで止まらずにスラスラ弾ける人は実は少ないのである。そして途中で止まってしまう人に限って、スクリャービンやショパンのような技術的にも難しい曲を暗譜で弾こうとしていることが多々ある。こういう人達にとっては、難曲を暗譜で華麗に弾ききるということが夢なのか、はたまた夢に似た強迫観念なのか、私には分からないが、私は聴いていてもったいないなと思ってしまう。とりあえず難曲をステージにかけるだけの実力があるのだから、楽譜を見ることで止まらずに最後まで弾ききれるならそちらの方が絶対に良い。

 

歴史的には、19世紀にクララ・シューマンが暗譜で弾いたのがかっこよかったとか、20世紀にはトスカニーニが暗譜で振ったのがかっこよかったとか、言われがあるらしいが、私はこれを彼らが作った悪しき伝統と呼ぼう。プロに対して言っているのではない。あくまでアマチュアに限って言っている。しかしプロでも、上のトスカニーニはコンサート前、ステージ裏で「忘れないか、忘れないか」と常に不安に駆られていたというし、あのリヒテルだって、楽譜の細かな指示まで覚えることは不可能だ、楽譜を見て正確に演奏するのがよいのだ、といったことを言っている。オリ・ムストネンはバルトークのコンチェルトを楽譜を見て(おまけに自分でめくって)弾いていた。

 

私がコンサートでの暗譜は必要ないと考えるに至った過程には、室内楽の経験がある。プロでも、室内楽をやる場合には楽譜を見る。合わせものをするためには、ピアノ以外のパート譜を把握するためにも楽譜は必要なのだ。そうすると、自然とソロの時にも楽譜を見て弾くようになった。そして気付いた。コンサートでわざわざ暗譜して弾く必要はない。演奏が良ければそれが一番いいのだ。

 

実際コンサートで暗譜をして弾こうとなると相当な覚悟が必要である。しかし、コンサートで暗譜をしないとなると、コンサートで弾く、という事に対するハードルが随分下がる。ある程度仕上がれば、まずコンサートで弾いてみようという気になる。そして実際次々とコンサートで弾けるようになる。これはすごいことだ。こうしているうちにだんだんとうまくなっていく。人前で弾くことは最高の練習である。むしろそれが普通になるのが望ましいことなのではなかろうか。