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まとまった考えが浮かんだら書いています

2013年センター試験の小林秀雄

今年のセンター試験の国語に小林秀雄の文章が出題されて難しかったと評判のようで、私もトライしてみた。通学途中の電車とバスの中で解いたので、およそ30分くらいかかったことになる。以下はその感想である。

 

文章は論理的に読まなければならない。しかし、論文ならばともかく、随筆においては表現が明示的でない部分があるために、どうしても読み手の解釈を必要とする。では解釈とは何か。それは、一見すると何が言いたいのかよく分からないところを、この人は何が言いたいだろう、と自分なりに考え、納得することではないかと思う。解釈のための材料は文章中にある。しかし、それだけを使って解釈を行うことはできない。なぜならば、その部分は一見すると何が言いたいのかよく分からないところなのだから。解釈には考える主体の経験、感性、想像力を投入する必要がある。だから解釈は難しい。それゆえに現代文は難しい。間違うと自分の感性が傷つけられたように思う。

 

しかし、設問を解く上では、必ずしもこのような解釈の難しさに正面から向き合う必要はない。つまり、よく言われる「現代文の問題を解くには感性がいる」といった考えは早く捨てるべきである。下手に傷つくのはもうやめよう。ひねくれたことを言わずに、本文を丁寧に読み、選択肢をよく吟味すれば、ほとんどの場合結局は適切なものを選ぶことができるはずである。設問にはいくつかタイプがあって、これが正解だ、とまっすぐに選べるものもあるし、これが正解だとは積極的に思えなくても他の選択肢がどこか本文からずれているので選択肢が選べる、というものもある。中には本当によく分からないものもあるかもしれない。試験とはその程度のものだ。そのように私は現代文の問題を解釈している。

 

ただ、そう言っておきながら、私は何回問題演習をやっても、現代文の問題が解けるようにはならない。正解を教えてもらうまでは、いくつかの選択肢がそれなりに正解だと解釈できるように思えてしまうのだ。血液型性格判断のように。やはり私は文章をそのまま正確に読むということが苦手なのだろう。すると文章を読んで面白いと思っている私は何なのだろう(「人はみな、わかることだけを聞いている。」(ゲーテ)。あるいは、感銘を受けた部分に限ってそんなことはないと信じたいのだが、とんでもない勘違いをしているのかもしれない)。ともかく、今日トライした結果は…芳しくなかった。だが、私自身はその結果を上のように解釈できたので、悔しくない(でもやはり悔しい)。