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メモノート on Hatena Blog

まとまった考えが浮かんだら書いています

意味が分かって楽譜の音を鳴らせているのか

数学者の岡潔が「いま、たくましさはわかっても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか」と書いていたが(『春宵十話』)、もし悲しみを分かち合える友がいたら、それは深いと思う。最近ブラームス3つの間奏曲作品117を弾いている。これを弾いていると、おぼろげながら見えているけれども自分にはまだ見ぬ感情が確かにあるのだということを感じる。それをブラームスの音楽からリアルに教えられた。

 

 漢字さえ読めればカントを音読することはできる。意味が分かっているかは別だ。それと同様、意味が分かって楽譜の音を鳴らせているのか、という問題は、常に問題であるのだが、「この音楽は深いからすぐには分からないよ」と言われても(あるいは自分で言っていても)、今弾いている演奏がとりあえずは自分のすべてであることには変わりなく、「今の曲の理解がすべてではない」ということは経験上(痛いほど)分かってはいるのだけれど、今はそのまま提出するしかない。そういうことが多かった。

 

しかし、ブラームスの作品117を弾いたときは、そういう言わば観念の上での理解不足ではなく、「おぼろげながら見えているけれども自分にはまだ見ぬ感情」がそこに住んでいるのを、はっきりと感じ取った。

 

 

ブラームスの絶妙な音の配置を注意深く読みながら、テンポ・強弱・音のバランス・音のずらし方・タッチと音色・ぺダルと響き・間・など、をどう調整すると一番しっくりくるかを調べることである。ところで、悲しみとは何だろうか?それを、音楽を通じて逆照射することによって答えられないか。