メモノート on Hatena Blog

まとまった考えが浮かんだら書いています

現代文の試験提案

現代文の試験は、以下の2つでよいと思う。

 

1、本文の要点は何か簡潔にまとめよ。

2、本文を読んで面白いと思ったところはあるか。あるいは著者の主張に反論があるか。理由とともに述べよ。

 

なぜかというと、文章を読んだあとに訊かれたり、報告を求められたりするのは、

結局のところ、「何が書いてあったか?」と、「面白い内容だったか?」だからだ。

 

本文と微妙に異なる表現を使った、合ってるとも間違ってるとも言えるような選択肢を選ばせるような問題はもう御免こうむりたい。

 

 

英語 語学教育 意義

英語!英語!と言うことに対して嫌悪感を覚えるのは、ひとつは自分がいつまでたっても英語ができるようになったとは思えないことに対する自己嫌悪でもあるのだろうが、確かに英語を勉強するというのはつまらない。手段が目的になっているからだ。英語でしか読めない「価値あるもの」を読むための基礎的能力として、英語力を持っておくのはよかろう。そうすると、確かに自分が読める「価値ある」文献は増えるだろう。それは大変重要なことだ。しかし、その益なくして英語の勉強だけをするのはいかがなものか。使わない道具の使い方を一所懸命覚えるようなものだ。それは無味乾燥に違いない。

 

だから、ただ何でも英語で授業をやればよい、英語であれば価値がある、という考え方はナンセンスである。

 

古文・漢文を勉強する意義も、そういう古文の価値を前提においてこそなされるべきである。古いが永遠の価値を持つと思える名文、日本語本来のリズム感、そういうものを充分に味わうために古文・漢文を学ぶのだ。決して試験のために文法を覚えるのではない。

 

ゲーテが「外国語を知らないものは、自分の国語についても何も知らない」と言ったという(『ゲーテ格言集』新潮文庫p.116)。自国語で考え自国語で表現する、というのが大事なのは当然だが、そのためにも実は外国語を学んでおくのは何らかの意義があるのかもしれない。比較対象があるということだ。

 

外国語の教育を行うなら、自国語との比較という点にまで踏み込み、言葉というものの面白さを学ぶ契機とするべきだ。

何語のMozart?

Mozartのオペラばかり聴いている。Mozartのこのピアノ曲は、イタリア語なのだろうか、ドイツ語なのだろうか、などと考えてみるのも面白い。

電子ピアノでフォルテピアノ

電子ピアノで、A=430Hzに、ブリリアンスをMaxにすると、フォルテピアノのような音になる。Mozartをいくら弾いても飽きない。

 

本物のピアノと比べれば電子ピアノは…という固定観念から抜け出し、電子ピアノは「電子ピアノ」という楽器だという視点に立ち、何ができるかを考えると、それはそれで面白い。機能を十全に使えば、創造的なことができる!

解釈

なぜ解釈が必要なのか?

理解するため?

理解するとはどういうことか?

理解しないと楽しめないのか?

カフカの小説を読んで。

言葉のふしぎ

「檄を飛ばす」とか、「姑息な手段」とか、「助長」とか、いわゆる用法を誤りやすい言葉というのがある。これを、本来の用法ではないやり方で使うことに対して、日本語が乱れているとか、基礎学力が身についていないとか言うのは容易い。しかし、私はそんなことより、日本人が言葉を使うときに、いかに音感や、表意文字としての漢字が喚起するイメージを頼りにしているのかということが分かるようで、面白い。

 

geki:激、劇、撃…

kosoku→ko:小、子、孤…

     soku:足、速、即…

反復について

反復は、人生における恐怖の1つか。生きるとは毎日を反復することだ。そしてそれが倦怠となるか、ならないか。

反復は、オリジナリティー崇拝に対するアンチテーゼか。毎回違うことを目指すのではない。反復の中に生じる微妙な差異を感じるか。そこに無限の深みを感じるか。能とはそういう芸術ではないか。